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2017/12/20
  • 新刊「訴訟合戦」が出来上がるまで

(※タケウチ商売繁盛研究会の研究員向けレポートの原稿を一部改正)

 昔からそこそこ文章は書ける方だったので、「いつかは小説を書きたい」という思いは漠然と心のどこかには持っていたと思う。しかし、当時、編集者という仕事をしていた手前、小説家がまったく食えない職業であることは分かっていたし、本を一冊出すだけでも大変なことということも、十分過ぎるほど理解していた。だから、心の中で「小説を書きたい」という思いがありながらも、その夢は心の奥底にずっと封印し続けていた。
 しかし、出版社に勤めて5年目の頃、小遣い稼ぎで書いた原稿用紙2枚ほどの文章が、某企業のエッセイコンテストで入賞した。賞金は15万円。常日頃、仕事で文章を書いている身なので、入賞は当たり前だと思っていたが、実際に受賞してみると「もしかしたら、小説も書けるかも」という欲が出てきてしまった。
 そんな思いで新たに応募したのが、千葉日報が主催する「千葉文学賞」だった。原稿用紙30枚程度の短編小説の公募だったが、こちらも運よく入賞することができて、10万円の賞金を獲得することができた。
「編集者の仕事をしなくても、文章を書き続けることができる」
 当時、雑誌作りの仕事に疲弊していた私は、出版社を退職。千葉県の田舎にある観光牧場に転職した。地方の小さい会社でのんびりサラリーマン生活を送りながら、好きな小説でも書いて生活ができればいいと、かなり呑気な夢を描きながらの転職だった。
 そんな中、新たに応募したのが愛媛県松山市主催の「坊ちゃん文学賞」だった。原稿用紙で100枚の短編だったが、賞金が100万円。しかも、大手出版社のマガジンハウスがバックアップについているので、入賞と同時に書籍の販売が確約されている文学賞だった。私は仕事の合間を縫って、コツコツと原稿を書き続けた。しかし、それでも思うように原稿がはかどらず、翌日が休みの日には徹夜で原稿を書くこともざらにあった。今思えば、なぜ、あんなに文章を書くパワーがあったのか分からない。半年ほど時間をかけてようやく100枚の原稿を書き上げて、坊っちゃん文学賞にエントリーした。
 そして、発表の日――。
 偶然にも妻が二番目の子を出産する日と重なった。明け方まで病院で連れ添い、出産後にコンビニに走って行き、コンテストの結果発表が掲載される全国紙の新聞を買った。病院のロビーに戻ってきて、ドキドキしながら紙面を開くと、そこにはまったく知らない、自分とは別の人の氏名が掲載されていた。

 しばらくの間、病院のロビーの椅子に一人腰をかけてぼーっとしていた。次女の出産と同時に、坊ちゃん文学賞に入賞しているイメージをしていたので、ショックはかなり大きかった。その後、再び短いエッセイに切り替えて公募を繰り返したが、編集者時代のように最終選考に残ることができず、ことごとく落選し続けた。仕事として毎日原稿を書いていないために、筆力が弱くなってしまったのだろう。結局、私は賞を獲得できないことからふて腐れてしまい、やがてエッセイも小説も書かなくなってしまった。それと同時期ぐらいに、観光牧場でネット通販の事業が立ち上がったこともあって、私は小説を書くことよりも、ネットショップ運営というビジネスの世界に深くのめり込んでいくようになっていった。

 その後、私はコンサルタントとして独立することになったが、当時は「死ぬまでに1冊ぐらいはビジネス書を出せればいい」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、知人の編集者から出版のオファーをもらい、私はコンサルタントになって4ヶ月目にして『成功者しかしらないネットショップ運営』というビジネス書を出版することができた。
「本が出せたから、もうこれで思い残すことは何もない」
 そう思って出した本だったが、この本が運の良いことに好調に売れてくれて、その後、私は多くの出版社から執筆依頼をもらうことができるようになった。紆余曲折があったものの、結果的には、出版社を辞めて転職をして、再び本を作る仕事に携わることができて、文章を書く仕事をすることができるようになったのである。

 そして20冊ほど本を出した頃、ある出版社から、M&Aの本を著名な会計士の先生と共著で出してほしいというオファーをもらった。共著は初めてだったが、編集者の頃にライターと一緒に原稿を書くことも度々あったので、私としては朝飯前の仕事だった。しかし、ひとつだけ編集者側から条件がついた。
「ノウハウをストーリー形式で書いて欲しい」
 その当時、業界ではビジネス書小説のブームが起きており、その影響もあっての編集者からの依頼だった。私は自分の書いた小説がどこまで商業ベースの本として通用するか分からなかったので、最初はこの仕事を断ろうと思った。しかし、共著者の会計士の先生が面白そうだからということでこの話に乗ったことで、私はM&Aのノウハウに沿って、ビジネス書小説を書くことになった。そして、自信なさげに「こんな感じのストーリーになりましたけど」と、共著者の会計士に第一校の原稿を読んでもらった。
「竹内さん、これ、面白いですよ」
 思えば、この一言のおかげで、自分の文章を書くスイッチが入ったような気がする。マスコミの業界関係者ではなく、純粋に第三者の、しかも著名な会計士の先生が自分の文章を褒めてくれるのは、心の底から嬉しかった。私はさらに原稿を推敲して、読み応えのあるストーリーを書き上げた。それが、私が初めて書いたビジネス書小説『会社の売り方、買い方教えます』だった。
「私たちの本は、もっと売れますよ」
 最初の共著本は残念ながら売れ行きが芳しくなかったが、二人で手ごたえは感じていた。私は共著者の会計士の先生の言葉に背中押しされて、新たな企画書を持って、出版社に片っ端から売り込んでいった。そして、ビジネス書の大手であるPHP出版が本を出してくれることになり、後にベストセラーとなる『会計天国』が世に送り出されることになったのである。

 『会計天国』は発売直後に10万部を突破して、私の代表作といえる作品となった。書店では平積みにされて、本の売れ行きランキングでも常に上位に入り、多くの人から「面白かった」という声をかけてもらった。
「小説家として、行けるんじゃないか」
 ずっと昔に、重い蓋で閉じ込めていた熱い思いが、再び心の奥底から湧き出てきた。『会計天国』も売れに売れて、二作目の『投資ミサイル』(後に文庫本で「戦略課長」に改題)も好調に売れている。自分の“経営コンサルタント”という肩書があるからこそ、ビジネス書としての小説が売れているのは分かっていたが、それでも、共著ではなく、“竹内謙礼”という著者一人が書いた小説が、世の中でどこまで通用するのか、再び試したくなってしまったのである。
 もちろん、数年前に落選した「坊ちゃん文学賞」の悔しさを忘れたわけではない。しかし、今は年に4冊ペースでビジネス書も書いているし、ビジネス書小説も共著とはいえ、10万部の本を出せるぐらいの筆力は身についている。私は直近で締め切りに間に合う文学賞を探して、マガジンハウスが主催している「ダ・ヴィンチ文学賞」に応募することにした。原稿用紙で200枚。本業のコンサルティングで多忙ではあったが、200枚ぐらいの原稿であれば、10日もあれば書き上げられる自信があった。そして私は、年末年始の休暇をすべて潰して、事務所にこもって小説を書き続けた。年明け早々に原稿を書きあげて、さらに1ヶ月かけて仕事の合間を見つけて校正を行い、締め切り日ギリギリに原稿をポストに投函することができた。
 そして、結果は――見事、落選。一次審査にも通らないありさまだった。

 坊っちゃん文学賞に落ちた頃とまったく状況は変わっていなかった。雑誌やビジネス書、メルマガのような商業的な文章は書くことができても、いざ、小説になると、まったく歯が立たなかった。小説の書き方のノウハウ本も片っ端から読んだし、小説家の先生の文章の書き方講座も聴きに行った。しかし、今の自分の文章力と、小説における文章力の差がどこにあるのか、私にはまったく分からなかった。
 そんな時、ふと、自分の書いた小説を誰かに添削してもらいたいという思いがよぎった。今の文章の何がダメで、何が良いのか、第三者の意見を聞きたいと思ったのである。私は編集者のツテをたどり、小説専門の編集者――つまり文芸雑誌の担当編集者と繋がりのある人を探した。そして、ある大手出版社に勤める知人の編集者にお願いして、同じ出版社の文芸雑誌の編集長に原稿を読んでもらえる機会を得ることができた。早速、原稿を送ったところ、驚くことに編集長から「すぐに会いたい」というオファーを受けることになった。
「小説の構成は面白いよ」
 意外にも、編集長の感想はポジティブなものだった。そして、200枚の原稿に収めるにはストーリーが壮大過ぎると言われて、この内容なら500枚ぐらいで書いて欲しいという指示を受けた。
「良い作品になったら、うちの出版社から出してもいいよ」
 私の気持ちは一気に舞い上がった。もしかしたら、ビジネス書ではなく、文芸の一作品として小説が出せるかもしれない。それがたとえ社交辞令だったとしても、心の奥底にあった「小説を書く」という夢が叶うのであれば、私は今の仕事をセーブしてでも、小説の執筆にチャレンジしたいと思った。
「ぜひ、やらせてください!」
 私はいくつかの仕事をキャンセルして、執筆期間を2週間設けた。従来であれば、本を書けば出版されることが確約されているので、どんなに仕事をセーブしても、数ヶ月後には印税という形で収入が得られることになっていた。しかし、今回は本になるかどうか分からない、まさに保証ナシの仕事である。当然、執筆期間中の2週間は仕事をセーブしなくてはいけないので、収入はゼロになる。しかし、そんなリスクを背負ってでも、「小説を書かない」という選択肢は、その当時の私にはまったくなかった。
 そして、2週間後、ゼロから構成や文章を作り直し、新たな作品を書き上げた。原稿用紙に換算して500枚の大作。すぐに文芸誌の編集長に原稿を送ったが、多忙なため、出版社に呼び出されたのは原稿を送ってから3ヶ月後のことだった。
「うーん、全体的に話の流れはいいんだけどね」
 編集長は表情を曇らせた。そして、2週間かけて書いた500枚の原稿はその場でボツと宣告されて、再びアドバイスを受けて原稿を新たに書き直すことになった。せっかく書いた原稿が無駄になったことはショックだったが、ここでめげてはいけないと思い、すぐに私は再執筆の準備に取りかかった。

 2回目のチャレンジで書いた原稿も、やはり2週間ぐらいかかった。前回同様500枚の原稿量で、一部書き直しではなく、再び新規原稿の作品を書いた。しかし、編集長はさらに多忙になってしまったようで、書いた原稿に目を通してくれたのは、半年ぐらい経った頃だった。
「だいぶよくなったじゃないか」
 編集長から前向きなコメントをようやくもらうことができた。しかし、同時に、1枚の用紙をスッと机の上に出された。
「この話がもっと面白くなるように、私が構成を考えてみた。この通りに原稿を書き直してもらえないか」
 この時点で、私は2回目の原稿もボツになったことを確信した。しかし、前回と違い、今度は具体的な指示が出された。確かに、その用紙に書かれたストーリーと登場人物の設定にすると、話はもっと面白くなりそうだった。
「頑張って面白いものを書いてくれよ」
 編集長は私の肩を叩いた。ゴールは目の前だ。あと少しで、自分の書いた小説が世にデビューする。そう思って、私はさらに2週間の時間を潰して、編集長のアドバイス通りに小説を書いた。

 私は新たに3回目の原稿を書き上げて、再び編集長に送付した。今度は執筆期間に3週間かけて、枚数も600枚ほどに膨れ上がった。しかし、ジャッジを下す編集長はメジャーな文学賞の受賞経験もないビジネス書作家の作品を読んでくれるほど、ヒマではなかった。ようやく時間を作って会ってもらえたのは、原稿を送付してから1年後のことだった。
「これでは、本にならないね」
 編集長は開口一番、そう言った。特に悪びれるわけもなく、淡々とした口調だった。ストレートな言い方はしなかったが、ニュアンスとしては、文章力も構成も、とてもではないが小説として商業ベースに乗せられるものではないということだった。何度も書き直しを命じても、このレベルのものしか書けないとなると、彼としても匙を投げるしかなかったのだろう。
「また、何か面白い作品を書いたら教えてくれよ」
 それが編集長の最後の言葉だった。2年半かけて書いた原稿の枚数は1800枚を超えて、トータルで1ヶ月ほどかけた執筆期間の労働は、すべて無駄に終わった。しかし、何よりショックだったのは、自分自身に小説を書く素質がないということを宣告されたことだった。ビジネス書小説の中では、文章が「うまい」と言われるレベルかもしれないが、小説というプロの物書きが集まる世界になると、自分の文章力は商品価値を失ってしまうことに、大きなショックを受けた。
 その後、私はビジネス書やビジネス書小説を書くことはあっても、文芸作品として小説を書くことは二度となかった。自分には実力がないことも分かり、小説のコンテストに応募することも止めてしまった――。

 そんなある日のこと、一通のメールが私の元に届く。
「うちの出版社で小説を書きませんか?」
 版元は文芸小説の大手KADOKAWA出版。しかも、その編集者の肩書はビジネス書の編集部ではなく、『文芸・ノンフィクション局』だった。出版社の方針として中高年の男性をターゲットにした小説を出したいらしく、ビジネス書小説の売れ行きを調査したところ、好調に売れていた『会計天国』のシリーズが目に留まって、私にオファーに至ったのである。
「この執筆の依頼は、共著でしょうか?」
 私は聞いた。
「いえ、単著です。竹内さんの作品は確かに共著が面白いのですが、一人でも良い作品が書けそうな感じがしたので」
 嬉しい一言だった。この言葉を手に入れるために、私は何冊も本を出して、何千枚もの原稿をプリントアウトして、何億回もパソコンのキーを叩き続けてきたのである。
 私は二つ返事でKADOKAWA出版の依頼を受けた。しかし、私が想像していたよりも、文芸小説の完成までの道のりは険しいものだった。まず、本の企画を箇条書きで何種類も提出して、そこから編集者と一緒にブラッシュアップする作業から始まった。さらに、その中からテーマを絞り込んでプロットを作り、再度、編集者に提出して、営業会議にかけられる。そして、その中で良さそうな企画を揉んで、そこからさらに細部のストーリーを詰めていって、各章のコンテンツを書き上げて、だいたいのストーリーの流れを編集者に読んでもう。この工程を何度も繰り返し、ようやく小説の「下書き」が完成となる。
 で、ここまでの道のりで、約6カ月かかった。テーマを決めるまでに半年である。ちなみに、ビジネス書の場合、スケジュールはもっとコンパクトだし、良くも悪くも企画は一発勝負的なところがあった。そう考えれば、フィクションの世界感を作るのは準備が非常に大切だということが良く分かった。
 そして、ようやくここから執筆にとりかかるのだが、分からないことや困ったことがあれば、だいたい編集者に相談すれば、その願いを叶えてくれた。例えば、欲しい資料があって、編集者に相談すると、数日後にはまとめて私の事務所に本やデータを送ってくれた。また、取材したい人がいて、編集者にお願いすれば、すぐにアポをとってくれて、その際の取材費や食事代も、すべて出版社が持ってくれた。余談だが、打ち合わせで連れて行ってくれるお店も、ちょっとおしゃれな飲食店が多かった。
「小説家のセンセイって最高じゃねぇか!」
 そう思ったのも束の間、原稿が仕上がってからの対応は、今までの出版社の比にならないぐらい厳しかった。原稿を入稿してから数日後に、編集者から「会ってお話したいことがあります」といわれたので、褒められるのかと思って浮足立って出版社に行ったところ、打ち合わせの冒頭から、原稿のコテンパンにダメ出しを食らってしまった。
「この流れで、主人公に何でこんなセリフ言わせるんですか!」
「この文章の言い回し、もう3回目ですよ? 他に表現する言葉はないんですか?」
「ここの5ページ分の原稿、全部、書き直し!」

 もともとの職業が雑誌編集者で、なおかつ、ビジネス書も50冊以上書いてきたこともあり、文章力にはそこそこの自信はあるほうだった。だから、なおさら書いた小説が、ここまでダメ出しを食らうとは想像もしていなかった。原稿には赤いペンでたっぷりと修正が入れられて、出版社の会議室でこんこんと2時間以上、15歳年下の編集者に怒られ続けた。原稿は原型をとどめないほど書き直されて、もはや私が書いた文章の面影すらなかった。
「竹内さんは、まだ兼業で書いた小説だから許されますけど、本職の小説家が、こんなレベルの原稿を書いていたら、この時点でもう企画そのものがボツですよ」
 以前、自分の書いた原稿が文芸誌の編集長に通用しなかった理由がようやく理解することができた。そもそもの原稿のクオリティが小説のレベルにまったく達していなかったのである。しかし、この編集者は、そのレベルに達していない私の文章を、放り投げずに最後まで向き合って、私よりも時間をかけて、すべての文章を直してくれたのである。厳しい言葉を浴びせる15歳年下のこの編集者に、私は心の底から感謝しなくてはいけない立場であることにようやく気付かされた。

 私の文章が稚拙だったこともあり、原稿は予定よりも9ヶ月遅れでようやく書きあがった。原稿が本の体裁で印刷されて自分の手元に届き、いつものように私は原稿チェックの下読みを始めた。
「面白い!」
 読んでいる最中に思わず、口を突いて出た言葉だった。自分で書いた原稿でありながら、まるで初めて読む小説のような新鮮さがあり、するすると引き込まれる面白い内容に仕上がっていた。一瞬、自分の筆力が上がったと思ったが、冷静に考えるとプロの文芸の編集者が大幅に文章やストーリーに手を加えてアドバイスをしてくれたことで、その小説は皮肉にも他人が書いたような文章のような錯覚に陥ってしまい、思わず修正を忘れて、最後まで文章を読みふけってしまったのである。それほど、今回、書き上げた小説は今までの自分の書いた小説の中では、別格といいほど面白い小説に仕上がったのである。

 最後の表紙の打ち合わせの際、今まで鬼のように怒り続けていた編集者が「ご苦労様です」と声をかけてくれた。私は深々と頭を下げて礼を言った。
「自分の書いた小説とは思えないほど、面白い作品になりましたよ」
「そんなことないですよ。書いたのはすべて竹内さん本人なんですから」
「また、機会があれば、一緒に組んで小説を書きたいです」
「私もそう思います。でも、これだけは言っておきますけど……」
 その編集者は、少し間を置いてから、厳しい表情でこう言った。
「この一冊目が売れなかったら、うちの出版社で次はないと思ってください。売れなかった著者に対して、2回目のチャンスを与えるほど、小説の世界は甘くありませんから」

 12月21日より、KADOKAWA出版より、竹内謙礼の初の文芸小説『訴訟戦争』が全国の書店で一斉に発売される。ゆとり世代の部下が、法律を盾に上司たちを訴える法律エンタメ小説だ。果たして法律で嫌な上司をクビにすることができるのか? それとも、仕事で使えないゆとり世代を会社から追い出すことができるのか? 仕事やプライベートで役立つ法律の話が、サラッと理解できる小説として仕上がっているので、ぜひ、みなさんにも読んでもらいたい。

 そして内容以上に、ぜひ、みなさんに知ってもらいたいことは、夢を現実にすることはたやすいことではないということを、この小説を通じて知ってもらいたいところでもある。もちろん、途中でその夢を何度も放り投げてしまったが、それでも、諦めずに最後までもがき続ければ、必ず夢は叶うということをこの小説を通じて体感して欲しいと思っている。みなさんにビジネスのイロハを教える立場の私が、身をもって証明した「逃げずに戦え!」という思いが、この本にびっしりと詰まっていると思って、心して読んでもらいたい。

 ということで、最高に面白い小説を書いたので、ぜひ、ご購入のほどをよろしくお願いします!

『訴訟戦争』
https://www.amazon.co.jp/dp/4041051908

著者/竹内謙礼

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